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2009年12月26日 (土)

縄文時代の太陽暦 パート2

昨日書いた、”町田の田端遺跡”の続編。昨日書いた後に、沸々と疑問が発生。にわか考古ファンだし、調べる時間もあまりなくて検証してないけど、目についたネットでの記載などを。

1)日本では冬至→正月との発想だろうけど、西洋じゃ冬至→クリスマスとの発想みたい。

http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_1700.htm

2)冬至が1年の区切りの意識があったとして、夏至は?

どうも、夏至までには稲を植え終える必要があるとの考えだったようだ。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa93464.html

以下は、写真とかで有名な三重県二見浦〔ふたみうら〕での夫婦岩も含めて記述しているサイト。

http://iroha-japan.net/iroha/A04_24sekki/06_geshi.html

もちろん、地域によって稲を植え終える必要のある時期は多少違うだろうけど、元旦が決まれば○月*日後とかで考えればいいので補正は楽かな。あるいは、夏至からの日数などを知っておけばいい。

3)後は方位との関係

ストーンサークルのも記述サイトあるようだけど、弥生銅鐸での以下辺りは面白かった。

http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/index98-4.html

以下は、秋田県男鹿のストーンサークルのこと。最後の方に、方位/日時計のことが書かれている。

http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/039_oyu/039.htm

ちなみに以下は、カシミールで、遺跡と夏至の関係を解いてみようとした例。ただし、カシミールの画像は、(私の環境で)リンク切れ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chigusa/sun-dial.htm

時間があったり、普段使っていれば実行してみるんだが。なお、こんなご時世、セカイカメラみたいなので、現地でそんなことが分かるとありがたいかなとも思った。なんか都会のお店案内よりも、そんなことが/そんなこともできる方が親しみがわく。特に我々のような世代になると。


ちなみに、日本じゃ太陰暦が長かったけど、縄文時代の太陽暦との対比では、なんでそうなったかも気になるところ。日々の正確性を高めようとしたのかな。逆に、閏月の挿入など、そのために大枠の正確性が犠牲になった。また、月の満ち欠けだと日本全国間違いし、閏月の件は時間かかっても通達すればいい。太陽暦を日本全国で同期させるには、地域間の技術レベルの格差が激しいと難しかったのも理由かも。

まっ、日本での暦の支配って、天皇家を含めた政権の関係も見過ごすことできないけど、上のような技術伝承の目線も面白い。ただ、時間を割けないので、頭の隅に入れとく程度


やっぱ、方位磁石とか持って田端遺跡を訪れてみるか~。ただし、方位磁石自体を持ってないので、100円ショップとかで買うつもり。

12月 26, 2009 科学 |

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