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2009年12月25日 (金)

縄文時代の太陽暦

昨日見て、今日また別の所で話題にしたのが、以下の知り合いのブログ。

田端遺跡2009その2

冬至の日に、縄文遺跡のストーンサークル(環状列石)から見ると、丹沢の蛭ヶ岳山頂に日が沈むというもの。その辺りでの眺めとしては、蛭ヶ岳は一番高い山に近い。上には連続写真もあるのでわかりやすい。

で、実はこの遺跡が、普段通っているサイクリングロードの脇近くと分かった。余りに身近すぎたこともあり、今日の午後は、たまたまそうなんだろうくらい。もちろん、縄文の当時でも、天文の重要性は知るべき人達は知っていたと思われるが。 今日話題にしたのは、夏至の時の日の出、日の入りはどの辺りになるかな~など。

ところが、自宅への帰り際に、近くのスーパーでの正月準備向けの飾り付けを見かけて思った。もしかしたら、冬至が重要なんじゃなくて、冬至から1週間くらいたった方が重要じゃないかと。つまり、正月! 1週間位なのは、日の入りが、より北に向かうか南へ反転するかは、少し日が経たないと分からないため。しかも、いつも晴れてるわけじゃないので、確実なのは1週間くらい。

そう考えると、あそこの遺跡のストーンサークルは縄文時代の天文台だったのだろう。元旦などを決める。10年以上とかの長い期間の観測が必要なので、大きな石にした。あるいは、よく言われるように、日時計の役目もあったのかもしれない。 ちゃんと調べてないが、ストーンサークルは縄文中期~後期。東北など東日本に多いようだ。田端遺跡のそれは最西?

縄文時代のストーンサークルの話題は、以下辺りにもある。探せば他にもあるかも。

http://www.jplnet.com/miomote/index2.html

ご存じかと思うけど、どうも縄文人と弥生人は、別系統(別人種)らしい。数年前に、どちら系かがちょっと話題になったはず。弥生人は、ストーンサークル(ここでの仮定は太陽暦)とは違った天文学の体系を持っていたのかもしれない。

我々の小学校や中学校の頃の縄文人のイメージは、生肉を食していたり、ちょっと加工する程度。段々研究が進んで、それなりの文明を持っていたことが分かってきた。やはり古代でも、頭のいい人たちはいたんだ。というか、その時代その時代での創意工夫をやってきたということ。


やっぱ、冬休み中に、自転車で田端遺跡遺跡には行ってみようと思うようになった。寒さ対策装備で、ごつい格好になるだろうから、見学者多かったら撮影してさっと引き上げることにするつもり。

12月 25, 2009 科学 |

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