2014年11月 2日 (日)

科学コンテストとスポーツ故障

ひょんなことで、「実はこんなにある、科学関連イベント!」というページに行き着いた。他にもあるだろうけど、科学系コンテストをまとめたページ。
http://monodzukurikidsfund.org/science-event-news20130625/


思ったよりも結構多い。”甲子園”と銘打ってるイベントもある。これだけあると、学校のクラブなど優勝を目指す所も少なくないし、複数のイベントに出場するなどで忙しいクラブもあるかもしれないと思うようになった。

甲子園との文字が飛び込んできたので、高校球児のきつい練習を連想したり、クラブ活動で根をつめるとどうなるかが気になった。球児以外もそうだけど、肩や膝などの故障に遭遇して運動できなくなったり、死亡や怪我によって一般的な生活すら叶わないケースもある。

プロチームや有名校だとトレーナーとか栄養面を考える人達がいるけど、科学系コンテストに出場する学校とかでそんな意識も必要なのかもしれないと思えてきた。やはり端的にはストレスとか精神的な疾患への対応。科学系のクラブの先生が気に留めといたり、養護(?)の先生などとクラブの先生が連携しやすいようにした方が良いだろう。

科学系コンテストが増えたりするのは結構なことなんだけど、それに応じて生徒たちの精神・身体への配慮もしていく必要があるんだろう。コンテストの一覧を見て、ふとそう思った。

11月 2, 2014 科学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年12月31日 (火)

今年印象に残った本 「働かないアリに意義がある!」

今年読んだ本で結構印象深かったのが、「働かないアリに意義がある!」。以前新聞で見かけて気にはなってたが、書店で平積みのコミック版を見かけた。1,2週ほどそのコミック版がなぜか印象に残ってて、何かの縁かと思ってコミック版を購入した。さらっと読んで(見て)、通常版の方で詳しく知った方が良いかなと考えて、結果的には文庫本とコミック版の両方とも購入した。

帯でのキャッチフレーズが、「サボるやつらが会社を救う!」、「7割は休んでいて、1割は一生働かない」。

そもそも自分が興味があってポツリポツリと本とかを買ってるものに、ミツバチなどの昆虫や動物が集団で組織体を形成する現象がある。「社会生物」とか呼ばれるもの。なお、最近は動物での自己犠牲的な挙動もあるようだけど、自分の興味はどちらかというと、そんなに賢くはなさそうな昆虫が共同作業できるメカニズムの方。そもそも遺伝子に組み込まれているのかとか、フェロモンのようなものに作業指示みたいなのがあるのかといった疑問が沸いていた。また、集団として統制が取れているように思えるが、その統制はどんなメカニズムなのかという疑問が沸いていた。


この本では、働かないアリは、いわばバックアップ要員だそうだ。ある閾値以上にならないと、働こうとはしない。ローテーションのようにしてるかと思ったら、キャッチフレーズにあるように、1割は一生働かないとのこと。個人的には、多少なんでだろうと思ったけど、その1割は非常に稀なリスクへの対応としているのかもしれない。(後述)

また、ある特定の作業しかせず(役目が決まってて)、それがアリのような小さな脳でも対応できる理由のように書かれていた。なるほど~と思った。つまり自分の読み解いたイメージでは、作業はプログラムされてて、非常にシンプル。ほんの少し、状況に応じて各自の判断で行動できるようになっているといったイメージ。

ただし、働くアリを集めて集団にしたら、そのうちの大半は働かなくなるそうだ。つまり、人間組織で言われてるパレートの法則(または「8:2の法則」)が当てはまるというわけだ。もともとパレートの法則が、アリのような小さな脳での法則と考えると、人間って案外進化してないんだな~と思ってしまった。

なお、アリは年代によって役目が変わるらしい。若いうちは幼虫の世話、巣の維持、そして年を取ると餌取りで外へ。これを「齢間分業(れいかんぶんぎょう)」と呼ぶそうだ。高齢化したアリを外に出すのは危険ではあるが、全体的には最適というわけだ。上手い仕組みだと思いながらも、なぜそうなるかに言及が少なかったように思った。そもそも役目をスイッチするように遺伝子に組み込まれているような次元の話なのか、女王アリなどからのトリガーによるのか?? ちょっと気になった。というのも、自分の視点としては、役目がプログラムされていると考えると、それを入れ替えるメカニズムやタイミングが気になってるというわけだ。

あと、餌場までの道筋のフェロモンはアバウトだし、それを守らずに行動するアリがいるとの話も面白かった。そのアリのせいでより効率的な道が発見されたりする(ことがある)。また、集団が均一化しすぎると外敵に脆い。これはプロジェクトでのグループメンバー編成にも当てはまることだ。

なお、本では「ハミルトンの法則」に結構なページを割いている。ハチやアリでの真社会性を遺伝子的に説明するものだが、それまでの分かりやすかった説明から、急に難しいというか偏った話に受け取った。著者の以前の著作なり論文が関係しているかと思える。いろんな種類のアリの話も登場して、ハミルトンの法則のような真社会性昆虫の普遍的な話なのか個別種の話なのかが混乱してしまう時があった。章立てなどの工夫が欲しいと感じた。(コミック版ではハミルトンの法則などには触れて無くて、”サボるやつらが...”と言ったキャッチフレーズの説明としては分かりやすい構成になっていると考える。)


ちなみに、この本を読む前に結構面白かったのが、NHKの「ダーウィンが来た」で放送された”ハキリアリ”の回だった。以下が公式ページ。
http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?sp=p320

以下は個人のブログだし、他での画像などもあるけど、番組内容が分かりやすい。
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11546537205.html

道路整備担当のアリがいたり、情報収集のためのアリがいることなどが紹介された。また情報収集に関連して、音でのコミュニケーションを行っているらしいとの話もあった。思った以上に、分業が進んでいたり、集団活動のための術を用意していると感じた。


P7303063P7313067なお、2つの写真は、帰省した際に壷のようなものをひっくり返したら、ぎっしりとアリが巣を作っていたもの。ひっくり返した時にアリが右往左往(左の写真)してたけど、翌朝にはアリの卵を含めて一匹もいなくなってた(右の写真)。

こんな緊急時にも働かない=動かないアリがいるのか少し気になったけど、余りに多くのアリだし動かないことの観察をどうするかすぐに思いつかずに調べることはしなかった。ただ個人的には、このような緊急時には動かないアリも動いたのではないかと思う。また、代わりの巣を作ってそこへ卵を運ぶのが普通だろうけど、巣が必要とか巣の作成の指示がどう行われたかも気になる。

ふと個人的に思うに、1割のアリは一生働かないとの事だが、一生働かないアリの中に今回の緊急時に備えて巣になりそうな所を探したり、巣へ卵を運ぶためのフェロモンを出すなど役目のアリがいるのかもしれない。翌朝にはすっかりいなくなったアリの風景を目にして、ふとそんなことを思ったがどうであろう。


「アリはなぜ、ちゃんと働くのか」という、こちらの本も参考になった。ただし訳本で、アリゾナ砂漠での様子での記載のため少し距離感を感じるかもしれない。



思うに、昨今は目先のことはやるが、長期的視野で行動する人や場合が少なくなっている。(自分もそうだが)手紙などで考えを述べるのが億劫になり、メールや電話で済ませてしまう。今や、TwitterやLINEといった小文字数や絵文字でのコミュニケーションが主体になっている。普段の生活だけなら問題視する必要も無いが、会社や学校でのやり取りもそうなってるから厄介だ。マニュアルや本に書いてあることを鸚鵡返しすることはできるが、問題解決やそれ以前の問題把握や問題分析になかなか着手しない。端的には、人間がアリ化してるような気分になる時がある。

規格やBOKの類では、作成側はより良いものへとの考えだろうが、更新したり斬新な考えを盛りこむことに目が行ってしまう。企業内の管理部門は、規格の遵守や社内標準化、ツールの導入という手段を目的のように考えて、(本来の目標よりも)遵守や標準化やツール導入に熱が入ってしまう。

学術系の学生や先生、そして企業内でも論文作成がノルマになっている感じの人達がいる。研究成果なら分かるが、自分にとって身近なソフトウェア品質やプロジェクトマネジメントでは、改善などの視点の乏しい論文も少なくないように感じる。そんな論文は、色んな文献のコピペが多くて、実施したり改善点が曖昧だ。


なお結構街中で時々目にするのは、道路わきの空き缶や、ひどいときには食べ掛けのカップ麺の容器。所かまわずと言うか、、、。中国などの動画ではもっとひどい場面を目にしたりする。言わば、”服を着たサル”。(”服を着たサル”は、栗本慎一郎著の「パンツをはいたサル」を捩ったものだが、そのでのパンツは人間が生み出した制度みたいな意図。) そんなこともふと考えさせられた。


「働かないアリに意義がある!」を通じて、人を含めた集団活動の根本部分のヒントを学んだ気がする。また、昨今の人々との対比に目が行ったのは有意義だったと考える。なお、「齢間分業」が形成されるメカニズムや緊急時も働かないかなど、気になることも出てきた。自分なりの勉強もだし、この本の続編とかが出るのなら少し期待したいと思う。


12月 31, 2013 書籍・雑誌科学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月30日 (月)

明治5年の布告(太政官布告 第337号)は変更すべし

Facebookの知り合いのとある書き込みで、結構な数の反応があった。「24時間表記の12:xxを、午後0時xx分と表記するというルールに徹底できないだろうか」というもの。同じ時刻(12:30)を、午前12時30分、午後0時30分、午後12時30分と表現するケースがある。(直接関係しないが)当時うるう秒がシステムトラブル発生させるとのことで廃止論がニュースになり、自分が時刻の扱いを気に掛けていたので、その書き込みに少し反応した。

結論めいたことを先に書いておくと、そもそも日本での午前/午後の表記は、明治5年の太政官布告が元になっている。150年近く前の、大昔と言って良いくらい昔の決まりだ。結局混乱したまま/混乱した意見が出るということは、この布告の修正を行うべきと考える。午後0時xx分の表記が有効である旨を明記しておくべきだろう。また、これに限らず、矛盾したり現在とそぐわなくなっている法律や条例が少なくない。技術者などから、法令に関する変更の提言を行っても良い(行うべき)と考える。


明治5年の太政官布告 第337号は、「改暦ノ布告」と呼ばれるもので、太陽暦にするために発行したもの。そのものや、午前/午後を絡めたのは以下あたりが参考となる。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M05/M05SE337.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%88%E5%89%8D%E3%81%A8%E5%8D%88%E5%BE%8C#.E5.8D.88.E5.89.8D12.E6.99.82.E3.81.A8.E5.8D.88.E5.BE.8C12.E6.99.82

http://www.msoffice.co.jp/MINOTE/Jikan/pg378.html

Photo

ウィキにも書いてあるが、本布告は現在でも有効と言われている。

したがってそのまま解釈すれば、24時間表記の12:xxは、午前12時xx分との表記でなくてはならない。ただし、上記のウィキにもあるように、”国立天文台広報普及室はこのような場合は午後0時×分と言うほうがいい”としている。

NICT(日本標準時グループ)も同じような考えであるが、以下のページで昭和51年の小学生からの疑問に対するバタバタぶりも紹介されている。

http://jjy.nict.go.jp/QandA/12am-or-0pm-J.html

現在、日本での午後0時xx分は結構普及してて、テレビ受像器の番組時刻は午後0時(正確には PM 0:00など)と表示する。またNTTの117では、”午前11時50分”、”正午”、”午後0時10分”をお知らせしますとのアナウンスである。したがって、日本での実際的な問題は、デジタル時計等での正午の午後12時(と0時は午前12時)表示と言える。

ただし、英米を含めると、少し話が複雑となる。ご存じのように、英米などでの表記は0時が12:00am 正午が12:00pm である。

http://en.wikipedia.org/wiki/12-hour_clock#Confusion_at_noon_and_midnight

例えば、エクセルで 0:00 と入力して 「h:mm AM/PM」と書式設定すると 12:00 AM と表示される。12:00だと、12:00 PM。正午を午後12時と表現するのは、その辺りが関係しているのかもしれない。(ただし、本来日本では、「改暦ノ布告」にもあるように、午後12時は午前0時のこと。)

時刻(12時間制)の表記で、1から12を使用するのは、時計の文字盤の影響が大きいのだろう。アラビヤ数字にしろ、ローマ数字にしろ、大抵1~12を使用している。ただ上のウィキに記載されているように、海外の国が全てというわけでもない。フランスやドイツは、また違った表記のようだ。(ネットで調べると、フランスの記載方法は12時を特殊扱いしているようだ。ドイツでの表記は、すぐには見つからなかった。)

時計の上の方の文字盤が、ある時からでも”0”になっていれば、このような混乱は発生しなかったはずである。ところが数字のゼロを発明したのはインドで、アラビヤ数字やローマ数字のずっと後である。今ではアラビア数字にゼロ(0)はあるが、ローマ数字にはゼロはない(はず)。ご存じのように、ローマ数字は5を"V"とかで表現するもの。時計ではローマ数字が使われていることが多いので、時計の文字盤へのゼロ記載は行われなかったと考えられる。なお、ゼロ記載した時計も探せば見つかるので、普及しなかったと言うべきだろうが。


ちなみに、幼児とかだと、時計の見方を親などから学ぶ。長い針と短い針。通常は起きてる朝8時から夜7時くらいまで知っておけばいいので、文字盤のある時計を見ながら午後0時30分の時 「今何時?」と聞かれて「12時30分」とか 「12時半」と答えるだろう。まっ、それは仕方ない。

したがって、0時を含めた24時間制などは学校で習うことになるが、どうも指導要領で24時間制そのものを教えないようになっているようだ。本来指導要領そのものにあたるべきだけど、以下などを参考に。

http://okwave.jp/qa/q6992763.html

0時という概念が教えられないことを考えると、正午を午後12時と言う人は増えていくと思われる。また社会での深夜活動や24時間営業が増えると、0:00(午前0時、午後12時)をまたぐ時刻のやり取りも増えてくる。トータル的に混乱が発生する可能性は増えるだろう。

やはり、太政官布告 第337号に午後0時を明記すべきと考える。具体的には、「十二時   午刻」としている部分を午後の方にして、「零時 即午前十二時   午刻」へ。そして「十二時   子刻」は削除。(零ではなく0が良いかもしれないが、他との整合性の関係。法令関係で零の記載でも0の意味となるのは、既に何かの通達に拠ったかと思う。)

うるう秒の廃止を国際的に議論するなどよりも、日本でのこの混乱を修正する方が先だと考える。うるう秒はそれに応じたシステムがそれなりに構築できているし、天文的なことや時刻の正確性を考えると本来行うべき処理。それを誤作動の懸念でなくすという考えが理解に苦しむ。それなら、サマータイム廃止などを議論すべきかと思ってしまう。システムトラブルを懸念するのなら、非うるう年や、うるう年そのものも廃止しても良いくらいだ。また、なんで日本が廃止論のアメリカなどに賛同したのかとか、電気通信連合の日本団体の総意なのか疑問を覚えた。(アメリカは、GPS自体でのうるう秒を気にしている? でも、システム的に補正メカニズムがあるので不可解。)


余談をいくつか、、、。

・「英米などでは0時が12:00am」って書いたけど、ほんとはイギリスでは 12.00am との表記。つまり、ピリオドを使用する。イタリアもそのようだ。で、エクセルにその書式を設定できるかというと、日本語版のせいなのか設定できない。

・時計の文字盤でローマ数字を用いることは多いけど、4をIIII、9をIXで表すことが多いそうだ。「時計文字盤」で画像検索すると分かりやすい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%B0%E5%AD%97(前出)

・太政官布告 第337号は、現行で効力のある最古の法律(法令)と言われている。

http://www.ceres.dti.ne.jp/~chu/law/toku_003.htm

多分そのこともあって、布告自体を無効や廃止とせずに、訂正で処理したい気持ちになるかと思われる。

・江戸時代の時刻は、干支と数字の4~9の組み合わせである。さらに細かい現在の約30分に相当する”刻”、約3分に相当する”分”の単位があった。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/koyama_h/sirabetakoto/mojiban.html

http://www.ffortune.net/calen/calen/yomi99/yomi033.htm など

”丑三つ時(うしみつどき)”は時代劇などでおなじみだし、午後3時の”おやつ”は江戸時代の時刻表記に由来している。

また、なぜ1~3を使わなかったかというと、そもそも仏教で9を縁起がよいとして鐘をつく数にしたためとか。逆に、刻の後での、ゼロ分の認識が芽生えていた部分もある。例えば「丑初刻 」の後が「丑初刻1分」で、分の所がブランクはゼロを表している。(このあたりは、日本人が色んな文化を受け入れる典型かもしれない。また、日本の明治5年布告時に零時としたのは、分のブランクが広まってたことを意識してのものかもしれない。)

・AM 08:00 などの表示があるが、日本固有のようだ。結局デジタル時計表示の際に、妙に英米のAM/PMの12時間制を利用したのが大きな間違いなのかもしれない。

・明治5年布告では、うるう年を4年毎としている。つまり、グレゴリオ暦に対応していない。そのため、明治31年勅令第90号で、明治5年布告を生かしたままグレゴリオ暦に対応している。(勅令第90号は1行のシンプルなもののようで、明治5年布告のどこを読み違えるとかも書いてないようだ。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M31/M31CO090.html

・うるう秒関連では、ISO 8601で、秒は0から60としている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ISO_8601

日本では、1秒が「セシウム百三十三の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の九十一億九千二百六十三万千七百七十倍に等しい時間」である旨を、「計量単位令」で明示している。しかし、秒が0から60である旨の法令記載は、無いように思える。

ISO 8601で、時刻の24時間制表記は規定されていると言える。ISO 8601に12時間制表記のルール定める考えもあるかもしれないが、結構困難であろう。骨折り損になりかねない。上で述べたように、英米のam/pmとか、コロンではなくてピリオドの利用など各国各様であることが理由である。


正午過ぎの12時間制の表記での問題や由来などを記載してきたが、昭和51年での小学生の質問でバタバタした時に明治5年の太政官布告 第337号の変更手続きを行っておけば良かったのにと思えてしまう。現在なら、うるう秒の事で騒ぐのなら、もっと議論して良さそうな事項にも思える。また、時計協会の認識として0時を用いるのが妥当としながらも、”規正統一をはかることは時期尚早”として変更実施しなかったのも問題といえる。(って、自分たちも時期尚早と言ったまま忘れたり、方便で時期尚早として逃げることもあるので大きな声では言えないか。)

少なくとも(デジタル)時計の表示では、

 24時間制
 12時間制(12使用) 従来のPM 12:00 →PM 01:00表示
 12時間制(00使用) PM 00:00 →PM 01:00表示

を選択できるようにしてはどうだろうか。12時間制(00使用)を追加することになるが、ある意味では日本での本来の表示が行えるようになることを意味している。また、そのような表記の国への対応になって便利かと思う。(ただし、具体的に午前/午後で0時を使う国が判明したわけではない。中国語では0時を零点と呼ぶようだが、十二点も表に記載されていてどちらを使っているか良くわからない。このような情報は、いろんな国のネイティブの人に聞いた方が早そうである。)

今回の震災を契機とした防災などの見直しで、法律や条令でおかしいところも指摘されているように聞く。震災の関係で改正されたり発行された法律等もある。普段でも、科学者や技術者による法律変更や法律設定に対する意見があっても良いのではないだろうかと思えた。また、その際には条文など、具体的な所に落とし込んだ方が分かりやすいだろう。それが、場合によっては行政の手間を省いて財政赤字が減るなんて事にも結びつきそうだ。(蛇足ながら、立法サイドが機能し、立法サイドへのアプローチするのが本来の姿だろうが。)

今回の布告以外にも、矛盾を含んだ法令はたくさんありそうに思う。それらの指摘が法律の学者先生などから上がっても良さそうだが、どうなんだろうか。 それらをすっきりさせることで、社会が効率良くなったり間違いが少なくなるような気がする。科学者や技術者、そして法学者などの意識が必要だろう。


追記:関連して、とある会合で話題になった件。お昼が「正午」、深夜0時は?  正解は”正子”(しょうし)。十二支での、子(ね)と午(うま)をあててる。

1月 30, 2012 経済・政治・国際技術科学 | | コメント (0) | トラックバック (0)